私の恐れるもの。
みなさんこんにちは、しきれです。
「死」というものを考えたことはありますか?
概念としての死ではなく、実際に現実に襲いくる死というものを。
私たちは皆、生きています。そして、いつの日にか死にます。
科学や医術が爆発的かつ奇跡的な進歩を遂げない限り、これは人類全てに等しく起こる現実です。
子供も大人も老人も。善人も悪人も。天才も凡人も馬鹿も。
全ての人類が「生」と表裏一体で「死」を持ち合わせています。
さて、それでは、皆さん。
自分は「いつ」「どうやって」死ぬと思いますか?
私は皆目見当もつきません。
死は、いつも突然です。
病気、事故、他殺、老衰。
全て、突然襲い来るものです。
老衰だって、「あなた、明日の何時何分に死にますよ」なんて誰も教えてくれないのです。
私にはそれがとても恐ろしいです。
自分が、いつ、どこで、死を迎えるのか分からないということが。
しかしながら、一つだけ、自分で自分の死を決めることが出来る方法があります。
自死です。
自殺とも言います。
自殺だけは、「よし、今、死のう」と思えば己の死期を決める事が出来ます。
覚悟を持って死へ挑んで向かっていけるのです。
⋯しかし、世間一般論では自殺は死の方法としてはあまり歓迎されるものではないようです。
何故でしょう。私にはあまり理解し難い一般論です。
他人の意見に流されずに自分の意思を持ちなさいと言うではないですか。
自分の意思を持って死を選ぶことの何が悪いのでしょう。
寧ろ立派な最期ではないですか。
一般論とは、そういう理不尽の中に出来上がるものです。
私は精神を患ってから、常日頃「死」について考えるようになりました。
死はなにか、ということから、現実的に死ぬ方法まで、ありとあらゆる「死」を日々考えます。
そして自分が実際に死ぬ瞬間を想像すると、とても晴れやかな気持ちになるのです。
いつ死ぬか分からないと思うととても恐ろしいと感じるのに、死ぬ瞬間を想像するのはとても素敵な事だと感じるのです。
私の中の理不尽な感情です。
さて皆さん、「死」というものを考えてみて下さい。
自分がいつ、どこで、どんな風に死ぬのか。
明日なのか、来年か、何十年も後なのか。
病気か、事故か、他殺か、老衰か、自殺か。
ありとあらゆる「死」の可能性を考えてみて下さい。
そして改めて、「死」というものの理不尽で絶対的な概念を、恐れて下さい。
私は、「死」が、恐いです。