逆さま言葉と、子供。
こんばんは、いぶきです。
週末、皆さま如何お過ごしでしたか?
私は有意義に不可思議な体験をして来ました。
ところで皆さん、お子さんいらっしゃいますか?
まだそんな歳では無かったとしたら、将来欲しいかどうか、考えた事がありますか?
私はずっと、子供が欲しくて仕方が無かったです。
たとえ結婚しなかったとしても、子供さえ居れば良いと思っていました。
あの小さな命を、いつか自分の手で抱いてみたいなと思っていました。
大袈裟な言葉を使えば、それだけが生きる希望でした。
けれど先日、その長い間抱いていた希望を、すっかりどこかに置いて来てしまいました。
いえ、誤解を恐れず言うのであれば、手に入れたという気持ちになったのです。
私の事を想う男の子が、私は可愛くて堪りません。
素直で真っ直ぐな言葉をいつも投げかけてくるのが、堪らなく愛おしく思います。
私は自分が世間一般でいう「普通」から乖離していると知っています。
だから努めて「普通」であろうと生きて来ました。
そしてそれが私を縛り、苦しめて居ました。
普通で居たいのに、普通から外れて生きている自分。
それを周りの人間に否定されること。
誰も分かってくれないという苦痛。
けれども彼は、あっさり受け入れて、笑っているのです。
「おかしいね」って笑って、褒めるのです。
「不思議だね」と困ったように言うのに、楽しんでくれるのです。
私たちの中だけで通じる、逆さま言葉です。
そんな彼と週末を過ごして、沢山言葉を交わして、ふと気付いた事がありました。
私は彼を紛れもなく一人の異性として好きです。誰よりも理解して、想っていると、そう信じています。
けれどそれと同時に、我が子のように愛おしく感じることもあるのです。
まるで自分のお腹を痛めて産んだような、そんな経験があるような錯覚に陥るのです。
我が子は目に入れても痛くないと言う人、居ますよね。
その気持ちが痛いくらい分かるのです。
何を言っても、何をやっても、受け入れて、見守って、支えて、そして時には彼のために叱って。
誰よりも彼を一番に、自分よりも大切に想う。
そんな気持ちを、見返りを求めずに抱き続けられると、そんな確信。
その気持ちに気付いた時に、彼さえ居ればそれで良いのかもしれないと思いました。
私は生きる為に、子供を産むことに執着していただけなのでは、と。
「普通」に生きていく為に、女性の「普通」である結婚、出産、育児に執着していただけだったのでは、と。
けれど、私は私の本音を受け入れてくれる、「普通」でない事を好きでいてくれる彼を見つけたのです。
無理して「普通」で居なくてもいい居場所があります。
そんな自分に、改めて、疑問を投げ掛けてみました。
自問自答です。
生きていたいか?
死にたいか?
子供が産みたいのか?
いま、本当に、望むものは?
彼が生きてと望むなら、生きていきたい。
彼が死んでと望むなら、死んでしまいたい。
彼が子供を望むなら、産みたい。
彼の望みを叶えたい、それだけ。
私の全ては、「彼が望むなら」
今の私は、彼の為に生きています。
たったそれだけ。
子供を望んでいたのは、人生を賭けれる何かを持たない私が「普通」に縋っただけでした。
彼の為に人生を賭していいと思う今、
「普通」で無くても受け入れて貰える場所を見つけた今、
私は、子供を手にしたのと同じなのです。
飛躍した理論である事は重々承知です。
けれど、それが「普通」ではない私の、本当の気持ちで、自然な結論なのです。
彼が居るなら、なにもいらない。
彼の望みを叶えていく事が、私の幸せ。
彼のくしゃっとしたあの可愛らしい笑顔の為に、
「おかしいね」と笑い合う為に、
「不思議だね」と楽しんでいく為に、
彼が発するそんな逆さま言葉の為に、
ただ、その為に、
私は生きていくのです。
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きみがいたから、今日も生きていけたよ。
きみがいるから、明日も生きていくよ。
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「普通」じゃなくてよくなった、いぶきでした。
それでは、また、今度。